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ラベル 心海 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2019年10月1日火曜日

おもうこと

自分の作っている作品のこと、
わたしがいつかいなくなったとき、どうなるんだろう?
できるだけ土に還るような素材でつくれないものだろうか?

う~ん
すこしいつも思うのです。

もっと地球にやさしい作品を作りたいという気持ちはいつもあるんですよね。。
すぐにはむずかしいので、全部でなくても、すこしずつ考えてゆきたいことのひとつ・・

少し頭が働いて居ないので、

今夜はもう寝ます。
おやすみなさい

がんばっていきたいな


2014年5月16日金曜日

最近、

想うようになってきたんです。

時間が経つことはかなしいことばかりではないって。


2013年8月28日水曜日

今日の夢

昨日、夢の中で自分の子供が初めて登場しました。
男の子で、白い肌でもちもちしたやわらかいお肌。
眠っていたので目は閉じていて、寝言で片手ぐーにしてを挙げてイエイイエイイエーイ!とその子は嬉しそうな夢をみていました。
一歳くらいかなあ

わたしはそれで、子供がいるのをはじめて気がついて、かわいい!と言ってぎゅーっとしてちゅーっとするのです。
そして、もうこんなに大きくなっているのに名前もきまってないし、家族に言ってない、いう機会を逃していてどうしよう?ととても困っている夢です。


Yちゃん

きのうの投稿の続き

私には大親友ともいえるし、大腐れ縁ともいえる友達がいます。

8歳の時、転校してだれも知り合いがいなかったとき、ひとり校門の傍のそてつの木のふもとの壁に腰掛けて、風を見る特訓を必死でしていたとき、彼女だけが変人扱いせずに興味を持ってくれ、一緒に風を見る特訓に付き合ってくれたため、それから友達になったのを憶えています。

仲がいいのか悪いのか、ほとんど時間がある時は電話して、だらだらとおしゃべりして、喧嘩してお互いのこだわりで言い合いになってなんとか和解してはわらって、空想の世界の話に花を咲かせています。
納得がいかないことは喧嘩してでも徹底的にお互い話しますが、考え方も違うし、それでこの二十数年間なんども絶交しようとおもうけれど、なんだかんだで一番なんでも話せるのです。
(彼女は肝が据わっているのでそんなことは想わないらしい)


彼女は主婦で、若い時に結婚し、子供を二人産んで、繊細なところがありつつも、厳しい環境でたくましく子育てをし、生きている人です。

たとえば、昨日のようなこ相談だと、『そんなことで悩むなんてもったいないよ』とか、『そんな些細なことが一番の悩みなんて幸せだね』とかそんな言葉をいただくとします。
(けれどもどこかで納得できないままいたりします)

しかし彼女は違います。
『くのちゃんがそう想うならそうなんやろ。ぜんぜんたいしたことなくないし、しょうもなくないわ』

そういうのです。
たしかに、どんな所に一番きずつくポイントがあるかなんて、その人にしかわかるはずがありません。
そういった意味でも、たいしたことないと言ってくれる、非常にそれだけで救われるのです。



2013年7月30日火曜日

「一番近い水たまり」と一緒に

5月のはじめに、個展の展示をおわるとき、わたし、ずっとやってみたかったことをしました。自分の絵に甘えてみたかったのです。湯村さんに写真を撮ってもらったものが、いまになって出てきたので、ちょっとのせてみます。

この絵は、鯨みたいな巨大な雲が、おなかに赤ちゃんを乗せていて、時が止まり観ろといわんばかりに堂々と。
そんな雲を偶然一ヵ月後くらいに二回も見てしまって、そのイメージがずっとあって描いたのです。


わたしは大きな生き物が好きです。
死にそうなくらいこわいからです。
それがもうたまらないのです。

小さな生き物もだいすきです。







「一番近い水たまり」
はこの作品の名前です。

水たまりは、すべてがある海の上に無数に浮かんでいて、ぜんぶ形がちがうんです。
いつからこのイメージがうまれたのか自分でもわからないけれど、
海は宇宙に近いかもしれません。


人も全然似ていないと想っても、深いところでは繋がっているなあと想います。





2013年7月19日金曜日

絵の神様

私は、
絵を描くのが好きで好きでしかたがないです
そのままもしさいごの時間になっても後悔はないでしょう


絵の神様、
いつもありがとう
あきらめないでいたらかならず応えてくれる
どんなときも見捨てないでくれる
わたしに力をくれる




7.21訂正

2013年6月12日水曜日

モーツアルト レクイエム

http://www.youtube.com/watch?v=Egs4CZjOAmk&list=PL89825BAE8FBF8942




今思い出した。
このレクイエム、わたしが子供のころ聴いてた。。

なんだろう・・
このレクイエム、魂に響いてくる
わたしがいつか旅立つときは、
こんな激しさの中で行きたい


激情のなかで涙を流してお別れがしたい
焼け付くような
おわかれ

そうしたらきっと
悔いが残らないと思える

なぜだろう?



やっぱり・・好きだ・・・

2013年4月18日木曜日

心の兄

お友達がわたしの絵にぴったりだとCDを選んでくださいました。フォーレとドビュッシーです。
わたしの絵は色はきれいだけど柔らかくてどこか寂しいのだそうです。
わたしは、フォーレの【シシリエンヌ】が気に入りました。

まだ聞き始めたところです。
聞きながら描いています。

わたしの感じる無常感や、孤独が、柔らかい美しい音の中に編み込まれてありました。

相反するものは常に混ざり合い、空気に溶け込んで身体を包みます。

少し早い五月病も、夜になってやっと優しい周りの友達、家族のおかげで和らぎました。
毎日だれかが気に掛けてくださいます、

幸せな人間です。

2013年4月11日木曜日

最近筆が、手がどんどん動いてくれる

わたしは涙が止まらなくなる

2013年4月5日金曜日

自分の小ささを忘れない人でいたい。

2013年4月4日木曜日

自分の未熟さがみにしみてはずかしいです。そんなとき、ありますか?

でも一人で隠れていてもなにも起きないから、動きたいし人とつながりたいんですよね。

2013年3月31日日曜日

贈り物の言葉

http://momoirotomarigi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_14.html

2011年6月の日記
読み返していたらもう一度出会った

「言葉を大切に」

2013年3月26日火曜日

霧野奇三郎様

芸術の深いところで交流ができた数少ない友達をなくして
悲しくてたまらない

この気持ちはどこに向かえばいいのでしょう。

夢に出てきた姿は、いつものように
すこし恥ずかしそうな笑顔。
私の「母神」の前でなぜだか
微笑んで、「この絵、説明して」っていつものような軽快な問いかけ


1月19日で更新は途絶えていた。わたしの誕生日だ。
その日だったのか、その数日後だったのかはわからない。

きっとつながってるからいつでも直ぐに会えると連絡を怠った
なんとも都合のいい友人を許してください。

志半ばでこの世を去った友のために
私には何ができるのでしょう

魂が永遠に生き、この肉体の世を行き来できるなら
あなたは喜んでくれるのでしょうか


2012年10月10日水曜日

My life is in your hands

http://www.youtube.com/watch?v=QAcpeAH8E2s&fb_source=message

ここさんから、こんなすてきな贈り物。

My life is in your hands


いつも大いなる存在の中に私はいる。
だから、安心して、笑い、泣きましょう。


2011年6月14日火曜日

日記について

おはようございます!

また、日記をお休みしていました。
制作に集中するとき、どうしても気が散ってしまうので、公開を閉じていました。

かくいうわたしは、何かと忙しく、仕事にいったり、自分の作品のパンフレットを作ったり、さまざまなデンマークに行くための準備を続けています。また、個展のため、自分の作品と闘っている日々です。
昨日は、癒しの道具であるバスタオルを二枚購入し、
今日は薬を一式揃えに行く予定があります。
お金ももたないので、すこしづつ準備しています。

友人である霧野奇三郎様に「自分の言葉を大切に」という言葉をいただき、大切にしているこの日記ですが、
もしかすると、どこかでやめることもあるかもしれません。

理由はちゃんとあって、ただ自分を否定しているわけではなく、
日々人間は変化しており、その変化が時間ごとに個々の存在として残るこの日記は、
どうしても過去の記事に書かれていることと、現在の自分とのギャップが生じてしまうからです。

わたしのことをよく知ってくださっている方や、親しみを持ってくださっている方は、
「こんなことも言ってるなあ」ときっとほほえましく読んでくださっていると思うのですが、
やはりあまり面識のない方や初めて読んでくださる方には、記事の印象が強いと
「こういう人なんだ」と固定された感想を持たれるのかもしれません。

考えはいまも変わらないこともあるし、今となってはそうでないことも多々。
その時々で、感じたことはまぎれもなく事実です。

感じることはすべて受け取る側の自由だし、過去のそれも全部含めて自分というのでしょうが、
あくまでもわたしの中では、
「今現在変化しながら生きている自分」を流動しているものとして見てほしいという強い気持ちがいつもあるのです。

ある意味、ブログの日記というのは、書き続けるとまさにその経緯をすべて表すものでもあるのですが笑。

そんなこんなでこだわり症のわたしはこういった人から見ると大したことがないかもしれないことでもずいぶん気になっていたりします。
自意識過剰すぎる性格なのだと思いますがそれは私自身も周りの人を逆に意識しすぎる裏返しだと思います。
その葛藤から一息つくためにしばらくお休みするという方法をとらせていただいています。


それでもこんな日記でも楽しみに読んでくれている友人の皆様には、
心から感謝しています。

2010年11月30日火曜日

ベートーヴェン 第13章 大フーガ

時を止めてくれ
すべての苦悩を止めてくれ
愛する者を救ってくれ

時は容赦なく過ぎてゆく
激流のように

すべての者に愛を
やさしさを
かなしみを
許されぬ炎の光よ
枯れゆく花の匂いよ

日がしずむ
日がくれる
目蓋は重いまま

あなたよ あなたよ
過ぎ去りし
最たる優しき愛よ

ゆるしたまえ
求めたまえ

光を 光を 光を 光を 光を 光を 光を 光を、、、、、、、、、、、、、、、、

小さき悦びを



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先日、私の大先生であり、ベートーヴェン研究家、松原茂樹先生の「ベートーヴェンに聴く」会に行ってきた。
場所は泉北にある『Cozi』さんという音楽喫茶。
部屋の壁前面に広がる木製と金属でできた巨大なスピーカーがあるくらい、立派な環境で、ご主人の淹れてくれたコーヒーも、レーズンサンドも、凄く美味しかった。
松原先生も、「理想的な環境、素晴らしい」とおっしゃられていた。
前の職場の方々ともお会いでき、とても嬉しい偶然だった。
老紳士のかたも何人か来られており、その佇まいだけでも美しい、素敵な方々だった。
私は文章の才能が全くないのでうまく伝えられないが、

なんだろう・・・
生まれ変わった。

そのくらい凄い体験をした。
初めて聴くこの第13章は、
なにか自分でも理解していない潜在意識に直接語りかけてきた。
涙が滝のようにどんだけでるんだろうというくらい出てきた。
一瞬どこか別の次元に魂が飛んでしまっているのがわかった。

私が最も恐れていることである『無常の悲しさ』の定義を
とっくに通り越し、壮絶な歓びへと達していた。
そのだれもが逃れることのできない無常の生をこえたところに
未だ目には見えないこんなに自由な世界があるということを教えてくれた。
それだけで私は、救われた。

ベートーヴェンの凄さを改めて実感した。
凄すぎるので、謙虚になる気にもならない。
そのすべての意識を超えてしまった。
偽善者になる気にもならない。悪人になる気にもならない。
ただありのままでいい。
ありのまま、人生を謳歌することが、無上の喜びであり、すべてへの感謝は尽きない。
ベートーヴェンは、本当に神様だった。光だった。


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上に記してある詩のようなものは、
大フーガを聴いているときに浮かんだ言葉です。
無我夢中で紙に書いていました。

2010年10月17日日曜日

無常の中に生きている

昔の写真を久し振りに見てたら、涙が止まらなくなった。

むかしはなんというか、時間が過ぎて戻らないという事実を知らなかったのだなあとつくづく思う。
ただただ未来が楽しみで、今がずっと続くと心から信じ、そんなことすら考えなかった。
ひたすらこのまま時間が続いていくことだけを願った。
けれども大人になるにつれて、
時間というものの悲しさを知ってしまった。
すべてのものには終りがある。
無常なのだ。

考えないようにできない性格だから。向き合うしかない。
私は蓋ができない。
正直、始まりなんかいらない。
このまま止まることができるなら、止まってしまいたい。
でもそれは死ぬということ。
そう考えたら
現実味を帯び、
やっぱり生きたいと思う。生きて欲しいと思う。
今をいとしく思い、未来を想像する。
毎日その繰り返し。
一生の中で、この生命という根本的な苦を克服することができるかはわからない。
でも日々の生活の中には沢山の、完全な楽もちりばめられるように存在するということは、確かで。
その一瞬に出逢う度、命ほど有難いものはないと思う。
命があるから、いろんなことが出来る。さわれる。感じる。食べられる。眠れる。笑える。泣ける。
時間がいろいろなことを変えていき、
感動することも起きる。

なかったら、何もない。
有ることが難しいものを、もらっている。

2010年10月14日木曜日

果てしない。。

こどもを産んでいるひとって、凄いと思う。
だって、その資格があって
それに選ばれたのだから。
わたしも最近になって
こどもを産むという
ものすごいことについて考えることが多くなってきた。
考えれば考えるほど
・・
凄すぎる。

だって世界に人間がひとり増えちゃうのだから。
その責任を負えるだけのものが今の自分にあるかって。
もう少し準備が要ると思う。

このこと考え出すと、宇宙の果てに思いを馳せた時のような気持になる。

2010年10月3日日曜日

手紙 A

表現者は
人の目を気にしだしたらおしまいだということを
やっと思いだした。

わたしは
自分の率直な感情を剥き出しにすることで、
家族や友人に心配をかけたくないとか、
迷惑をかけたくないとか
立派になって親孝行しないといけない(どうしてもしたい!)とか
明るく居ないといけないとか
暗い部分でなく人が幸せになるようなものをなんていうことばかり、
ここのところ考えすぎていて
すごく行き詰っていた。

私には
今まだそんなことができる器がない
実際に目に映るのはそんなことばかりではないのに。
そんな眼をそらしたくなるようなことが
少しでもよくなるように
絵を描こうと思っていたのを
忘れてしまっていた。

もういい子でいるのも、限界だ。
ごめんなさい。
期待には応えられない。

私はいい人間ではない。
才能はない。
賢くもない。
駄目人間。
精神は幼い
それでいいじゃないか。

なんの役にも立たない
絵など描いている
そんな一ばかでいいじゃないか。

それが人の役に立てば嬉しいけど
そんなの決められないじゃないか。

観る人が感じるままであって
それがすきとか嫌いとか
自由なのであって
それは自分そのものでいいじゃないか。

それがどんなにかっこ悪いものであっても
それが本音なのであれば
それが芸術なのじゃないか。

2010年9月18日土曜日

発掘家

絵は不思議だ。
何枚描いても、答えというものがない。本当の意味でのコツもなければ、よい絵を描く方法なんかもない。
たしかに形だけなら、それらしくなる方法は山ほどあるだろう。それについて書かれた難しい本もたくさんあるだろう。
でも、感覚や、心に訴えられるかは、心の一番底にある、見えない必要ななにかを発掘しなくてはならない。
それがどこにあるかの見当は、経験が教えてくれるのかもしれない。

ちがう、考えすぎが一番絵を殺すんだ。