私には大親友ともいえるし、大腐れ縁ともいえる友達がいます。
8歳の時、転校してだれも知り合いがいなかったとき、ひとり校門の傍のそてつの木のふもとの壁に腰掛けて、風を見る特訓を必死でしていたとき、彼女だけが変人扱いせずに興味を持ってくれ、一緒に風を見る特訓に付き合ってくれたため、それから友達になったのを憶えています。
仲がいいのか悪いのか、ほとんど時間がある時は電話して、だらだらとおしゃべりして、喧嘩してお互いのこだわりで言い合いになってなんとか和解してはわらって、空想の世界の話に花を咲かせています。
納得がいかないことは喧嘩してでも徹底的にお互い話しますが、考え方も違うし、それでこの二十数年間なんども絶交しようとおもうけれど、なんだかんだで一番なんでも話せるのです。
(彼女は肝が据わっているのでそんなことは想わないらしい)
(彼女は肝が据わっているのでそんなことは想わないらしい)
彼女は主婦で、若い時に結婚し、子供を二人産んで、繊細なところがありつつも、厳しい環境でたくましく子育てをし、生きている人です。
たとえば、昨日のようなこ相談だと、『そんなことで悩むなんてもったいないよ』とか、『そんな些細なことが一番の悩みなんて幸せだね』とかそんな言葉をいただくとします。
(けれどもどこかで納得できないままいたりします)
しかし彼女は違います。
『くのちゃんがそう想うならそうなんやろ。ぜんぜんたいしたことなくないし、しょうもなくないわ』
そういうのです。
たしかに、どんな所に一番きずつくポイントがあるかなんて、その人にしかわかるはずがありません。
そういった意味でも、たいしたことないと言ってくれる、非常にそれだけで救われるのです。
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