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2010年12月12日日曜日

美しい吉野

                          こんにちは。
ここのところ、急に寒くなり風邪をひいていたりPCの調子が悪かったりで遅くなってしまいましたが、
吉野にいったときのことを書きます。

今回の目的は、ずっと観たかった、
金峯山寺の金剛蔵王権現さまを観にいくことでした。

近鉄吉野駅。阿倍野橋から急行で1時間半以上かかります。
奈良県の美しい景色をみながらなので、あっというまでした。
高校生の人たちがたくさん電車に乗っていました。

到着すると、さっそく看板がでていました。
最終日でした。

このケーブルに乗せてもらい、行きます。
往復で、600円。
きゅうきゅうになるまで乗ります。

景色が遠ざかる。
(高所恐怖症なので高い場所ということは意識から排除^^;)

すれちがう。

到着!
さっそく、お土産屋さんがお迎え。
空気がほんとにおいしいんだ

くいしんぼうのわし。。
この「玉こんにゃく」を煮たもの。
ものすごくおいしいのです。ちょっとぴり辛い。

ちょっと早いけれど、腹ごしらえすることに。
(たべてばっかり^^;)
こんなすてきな席でした。
小説家がいそうだ。

おばちゃんのおすすめ。
吉野名物の柿の葉寿司と、山菜うどん。
おいしかったです。

窓からの眺め。

ほんとうにきれい。

おみやげやさん。ちっちゃいのがいっぱいいる。

ぞうりやさん。

ガラスの動物達。

のどかです。

10分くらい歩くと、金峯山寺が見えてきました。

ポスター発見。もうすぐ観ることができるのか。
緊張します。



着きました。荘厳。。
一礼して中へ。
立派な仁王様が迎えてくださいました。

とても美しくてたくましいお姿です。

本堂。

ここから、わたしはお寺の中に入り、
ついに蔵王権現様にお会いすることができました。
残念ながら、写真の撮影は禁止でしたので、画像などはありませんが、
大きく、壮大でとても素晴らしかったです。

蔵王権現様の本尊は、三対の姿でしたが、
それぞれが「現在」「過去」「未来を」あらわしており、もともとはひとつの姿だそう。
私が感じたものは、「宇宙」です。
すべてのものは、本来はすべて一つのつながりであり、一つの真実の中にものごとは存在しているという様なことを伝えてくださっているように感じました。
すっぽり包み込まれるようでした。

憤怒の相をしておられますが、見れば見るほどその表情に優しさを感じ、
「大丈夫。何も心配はないよ。ありのまま、一生懸命自分がいいと思うことをしなさい。」
と言ってくださっているようでした。
長谷寺の十一面観音さまも、私がすきな仏様は、じつはみんなそんなことを言ってくださっている気がして、心から安心します。


今回、そしてよかったのが、特別に蔵王権現様の近くでお話ができる場所を設けてくださっていることでした。そこには記帳がおいてあって、いろんな方がいろんな思いで心の支えとし、ここに来られたことを書かれているようでした。
次の開帳は、なにも行事がなければ50年後とのこと。
わたしはそのとき、75歳。
生きているのかなあ?
世の中はどうなっているかなあ?
平和であるかな?
この蔵王権現様が無事ここにあるといいな。
もしかしたら、また近くに奈良の歴史的な祭事に合わせて公開されるかもしれません。
ただ、未定なのだそうです。

結局名残惜しくて二時間くらいお寺の中にいましたが、気づかぬうちに体がものすごく冷えていました。気温も急降下したような。とっても寒かった。



お寺も、仏像も作った人たちは、本当にすごいなあ。
ほんとうに自分と同じ人間なのだろうかと。
どんな気持ちで作ったのだろう。
作っているときにも、人生いろんなことがあっただろうなと思ってしまう。
ものすごく強い「思い」の持つ力を感じる。

護摩木を燃やしていました。
あ、あったかい・・・
こんなに火があったかいなんて。

もえるもえる・・・
いろんな思いをのせている?

火の近くに行きすぎて、注意されてしまいました(笑)。
「火の粉tんでるからもえるどー!(笑)」山伏のおっちゃん
「はっ、はい?!すいません」うろたえるじぶん

ちょうど私と同じ年くらいのひとりで来ているらしきお兄さんも、ちかくであったまっていました。
ひそかに親近感を感じている自分。
いつだって、孤独ではないぜ!。


さてそろそろ・・
自分の家に帰らないとな・・・
お寺を後にしました。

帰りは、お寺にいた時の神聖な空気と気持ちがさめやらず、ここは現実なのかと、来たときとはまたどこか違った景色をぼんやり観ながらの帰り道でした。


















きれいなけしきやものをみると、本当に生きているということがありがたくって、
なにに感謝したらいいのかわからなくなる。
ありがたくてどうしようもなくて、どこかせつなくなります。



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